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県内の被害地震地図

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近江八幡の被害~江戸時代の国学者の日記

「安政伊賀上野地震」1854年7月9日(江戸時代)

マグニチュード…7.3

7月7日正午頃、4~?度ゆれ、前震(ぜんしん)が始まり、8日に小さなゆれが頻繁(ひんぱん)に起き、9日に本震(ほんしん)か?その後8月3日まで規模の大きな余震(よしん)が続きました。

6月14日(今の暦では7月9日)、午前2時北西の方より地震、その闇(やみ)の中でよけいすさまじく感じた。天地も今や壊(こわ)れるかのように震(ふる)え、寝室(しんしつ)のふすまは外れ、蚊帳(かや)は落ちてきた。妻戸(つまど=両開きのドアのような戸)をあけ妻子を庭に出してみれば、庭の灯篭(とうろう)が全部たおれ、かべ土が落ちた。その後もゆれはたびたび起こり明け方をむかえた。明け方また大地震が起きた。

付近では母屋がたおれ、かたむいた家もある。15日、鳴動すること数知れず、町内の人は八幡宮の森に仮小屋(かりごや)を建てて寝泊(ねと)まりしている。17日、16日夕方より今日の昼まで17、8度のゆれ、18日上筋(かみすじ)の人は桜の馬場や宇津呂(うつろ)の畑地に仮小屋(かりごや)を建てて寝泊(ねと)まりしている。25日、夜ゆれた。7月5日、夜小さなゆれ、6日大きいゆれ。

(魚屋町(すわいちょう)元・西川吉輔(にしかわよしすけ)日記)

※前回の地震で死者が多数出たうえ、ゆれが長く続いたので、畑に仮小屋を建てて寝泊まりしたという記事は、北之庄(きたのしょう)の奥野善之助(おくのぜんのすけ)文書や彦根にも残っています。