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県内が震源の大地震(寛文(かんぶん)地震)

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観音寺の本堂の横に一基の石塔が立っている

「寛文地震」葛川谷めぐり④「町居の集落と観音寺」

土の中から見つかった石宝塔

現在の町居の集落の北のはずれに「観音寺」があります。

現在の集落は、寛文地震の町居崩れで元の集落がうまってしまた後に、川の上流に移転したものです(大津市葛川町居町)。元の町居の集落は、今も土砂の下にうまっています。

この寺は、うまって死んだ人たちを供養(くよう)するために、延宝六年(1678年)、当時の町居村の生き残った人々によって建てられたものだということです。

境内にある石宝塔は、昭和20年代頃に土中から発見されたもので、元の町居の集落内にあった寺のものだったと伝えられています。

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