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県内が震源の大地震(寛文(かんぶん)地震)

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国道367号線の曙(あけぼの)橋の東を少し山手に入った先に明王院がある。朱色の橋をわたる

「寛文地震」葛川谷めぐり⑤「明王院(みょうおういん)

明王院へ続く朱塗りの橋

『葛川明王院文書』などの史料によると寛文地震の被害は次のようであったということです。

寛文2年5月1日(1662年)の午上刻(午前11時頃)に大地震があり、山の斜面が崩落し、谷からは大水によって土石が流出しました。

坊村の田畑などは壊滅し、同村の葛川明王院では、地震によって明王堂の石舞台、大橋(三宝橋)や寺の周囲の石垣がことごとく揺り崩れ、庵室などもかたむきました。

大量の土砂が安曇川をせき止めて天然ダムを形成し、葛川明王院の屋敷の辺りにまで水位が上昇したため、坊村の家屋などは残らず浮かび上がって流失した。

せき止めから14 日後の5月15日の辰下刻(午前8時半頃)天然ダムは大きく決壊し、水は急激に引きました。しかし、町居村から葛川明王院の下までは水が残って大池となりました。

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(平成17年3月)「1662寛文近江・若狭地震」より(改変)

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