火砕流(かさいりゅう)による被害
小学校の被害から火砕流の被害についてみてみよう。
火砕流がすぐ近くを通過した際の熱風によって全焼し、まわりのコンクリートだけが焼け残りました。その校舎が災害の記念として保存されています。
年月日 | 火砕流(かさいりゅう)発生の経過 |
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・普賢岳の噴火はじまる | |
平成3年6月3日 | ・火砕流発生、避難勧告(ひなんかんこく)だされる |
6月8日 | ・警戒区域(けいかいくいき)設定、立ち入り禁止に |
9月15日 | ・大火砕流発生 火砕流(かさいりゅう)本体は水無川(みずなしがわ)に沿って、流れ下ったものの、熱風は谷の出口から直進し、大野木場小学校一帯をおそう。付近の民家153棟とともに小学校は全焼するが、深江町では、人的な被害なし。児童129名と教職員12名は、仮設校舎で学校生活を送ることに。 |
その後、噴火災害(ふんかさいがい)の実態を伝え、防災学習に生かすため、校舎が保存される。 |