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根尾谷断層(岐阜県根尾村)

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地震直後の写真について

小藤 文次郎

「東京帝国大学」小川写真製版所(1900年)
WikimediaCommons

この根尾谷断層より前には地震断層について記録されたものがないため、日本で確認できる最古の地震断層として記録されています。また、地震直後に記録写真が日本や世界の地震学教科書などに引用されたため世界的に知られました。

記録写真は、何種類か撮影(さつえい)されていますが、小藤 文次郎(ことう ぶんじろう)が撮影して論文で使ったものが世界的に有名です。

小藤文次郎は、濃尾地震の発生から約2週間後に現地入りして調査を行い、後にその結果から断層地震説を発表しました。小藤の写真は、活断層の様子を生々しく記録した写真として世界に広まりました。

小藤 文次郎(ことう ぶんじろう)

1856年4月8日(江戸時代)、現在の島根県津和野町生まれ、1935年(s10)3月8日没(78歳)。東京帝国大学、日本の地球科学者。地質学、岩石学、鉱物学、火山学、地震学など幅広く活躍しました。

1879(明治12)年東京帝国大学でナウマン博士について地質学を学び、 翌年留学を命じられてドイツの大学で地質学を研究しました。 1884年帰国後、発見した岩石を兵庫県の玄武洞にちなんで「玄武岩」と名づけました。1888年日本最初の理学博士となりました。

(Wikipediaの「根尾谷断層」「小藤文次郎」の記述の改変)

玄武洞と玄武

玄武洞(げんぶどう)という名前は、伝説上の動物で北の守り神である玄武(げんぶ)にちなんでいます。玄武は黒いカメにヘビが合体した姿をしています。「玄」という字は黒を意味していて、玄武岩の特徴である黒っぽい色を表しています。