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県内が震源の大地震「姉川地震」

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姉川地震の被害の様子をくわしく見てみよう。

姉川地震あねがわじしん江濃地震こうのうじしんともよばれる)

姉川地震の被害地域

明治42年(1909年)8月14日午後3時半ごろ、湖北地方に猛烈(もうれつ)な地震が起こりました。地震の中心は、浅井町と伊吹町の境界(きょうかい)にある山脈で、地震の大きさは、マグニチュード7.9でした。

内陸部で起きた地震としては、大変大きいものでした。この地震は、姉川流域(あねがわりゅういき)が地震の中心になっていたので「姉川地震あねがわじしん)」とよばれています。

東浅井(ひがしあざい)の被害は特に大きく、死者34名(県内35名)、全壊家屋(ぜんかいかおく)2036棟(県内2192棟)にものぼりました。 死んだ人は、たおれた家の下じきになった人がほとんどです。

中でも虎姫(とらひめ)村の被害は最も大きく、死者17名、全壊家屋(ぜんかいかおく)646棟にものぼりました。 それで、この地震のことを「虎姫地震(とらひめじしん)」ともいわれています。 全壊家屋(ぜんかいかおく)が30パーセントをこえた字(あざ)は、郡内(ぐんない)で13ありました。 中でも、浅井(あざい)町尊勝寺(そんしょうじ)では、実に83パーセントもの家屋が全壊(ぜんかい)しました。

また、この時、伊吹山(いぶきやま)は、約1万6千平方メートルにわたって、砂けむりを上げてくずれました。 ほかに、道路や堤防(ていぼう)にひびが入ったり、地下水がわいたり、姉川の流れが2倍にふえたりして、地震にともなうさまざまな変化がおこりました。

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