県内が震源の大地震(寛文(かんぶん)地震)
「かなめいし」の葛川について書かれた部分を読んでみよう
五 朽木(くつき)并(ならびに)葛川(かつらがわ)ゆりくづれし事
五 朽木(くつき)と葛川(かつらがわ)が地震でくずれたこと(現代語訳)
『かなめいし』中巻表示
…(朽木の部分を省略)…特に、葛川(かつらがわ)というところは、前には谷川が勢いよく流れ、後ろは深い山につづいていて、たき木を切ったり炭焼をしたりして仕事にしている地域でしたが、めったにない大地震がおこって、後ろの大山がまん中からさけて、立ちならんだ家の上にどっとくずれてきて、その上、前の谷をうめてしまったので、川の水がどんどんたまって、流れがせき止められてしまいました。
すっかり池のようになって、日に日に水かさがふえて深くなりました。とつぜん思ってもいなかった災害におそわれて、村中の人々は何もできず、にげる所もなくて、生きうめになってしまったことは悲しいことです。
村の中で、よそへ出かけていた四、五人だけが葛川(かつらがわ)の生き残りとなり、その他の人たちはみな生きうめになって死んでしまいました。
それから二、三日の間は、地面の下から男と女のなく声がかすかに聞こえましたが、一、二丈(3~6m)の深い地の底にうまってしまったので、ほり出す方法もなくて、なく声を聞いた人は、なみだを流しましたが、四、五日後にはなき声も消えて聞こえなくなりました。
屋根の木材や家の柱、家具などのすき間にいて、それがつっかえ棒になって死ななかった人たちも、外へ出ようがなくて、なきさけんでいたことでしょう。その心のうちは、どれほど悲しかったことでしょうか。その後、日夜ゆれつづけて、最後には死んでしまったのだろうと思うと、あわれなことです。
ある人が、そこを通ったところ、土の底にうまってしまった人たちのなく声を聞いて、
「なんとあわれなことだ、人々のなく声が聞こえる、葛川でうまってしまった人々の声々が」
と歌によみました。