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県内が震源の大地震(寛文(かんぶん)地震)

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葛川谷(かつらがわだに)の村が天然ダムにしずんだ被害について見てみよう

天然ダムによる被害

天然ダムの推定地図

「琵琶湖西岸地震(1662年)と町居崩れによる天然ダムの形成と決壊」歴史地震第18号を改変

「町居崩れ(まちいくずれ)」の土砂が安曇川(あどがわ)をせきとめてできた「天然ダム」によって上流の坊村(ぼうむら)(今の大津市坊村町)の田畑は水にしずみ、「明王院」の辺りまで水がついて家屋はうかび上がって流されました。

地震から14日後の午前8時半ごろ[辰下刻]「天然ダム」は大きくくずれて水は急激にひきましたが、一部が大池となって残りました。(『葛川明王院文書』などより)

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(平成17年3月)「1662寛文近江・若狭地震」(改変)

天然ダムができる様子[クリックで開始]

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