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県内が震源の大地震(寛文(かんぶん)地震)

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葛川谷(かつらがわだに)の村が天然ダムにしずんだ被害について見てみよう。

「葛川谷絵図(かつらがわだにえず)

「葛川谷絵図」(絵図上の文字を一部拡大して追加)

大津市歴史博物館企画展「湖都大津の災害史」2023年3月より

(江戸時代)葛川坊村自治会蔵

寛文地震と「町居崩れ」によって被害(ひがい)を受けた葛川(かつらがわ)谷のようすを描いた絵図として「葛川谷絵図」があります。

この絵図は上が東、下が西で、右下には「葛川明王院(みょうおういん)」や「地主(じしゅ)神社」が、下部には安曇(あど)川と川ぞいの村々が描かれています。

絵図下部の「町居」集落の上側には「町居崩れ」の場所が黄色にぬられ「壬寅歳地震崩(みずのえとらどし じしんくずれ)」と記されています。「壬寅歳」って?

また、安曇川の中ほどには、天然ダムの決壊(けっかい)後に残った大池も描かれています。

この絵図がいつ描かれたかは不明ですが、地震からあまり年月がたっていない時期に葛川明王院で作られたものだろうということです。

「琵琶湖西岸地震(1662年)と町居崩れによる天然ダムの形成と決壊」歴史地震第18号を改変

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