島が陸続きに(桜島)
「桜島爆発記念碑」は「科学不信の碑」とよばれることもあるようだけど、どういう意味かな
島民の自主避難と「桜島爆発記念碑」
大正噴火の10年後、後の村長が「桜島爆発記念碑」を建立し、教訓を記しました。その碑文(ひぶん)は、下の文章でしめくくられています。なお、現在この石碑のある場所は、鹿児島市立東桜島小学校の校庭となっていて、東桜島小学校では、特色ある活動としてこの碑文の暗唱を行っているとのことです。(東桜島小学校ホームページより)
(現代訳)「桜島の爆発は、これまでの歴史からみて、今後もさけられないことは明かだ。住民は理論を信頼せず、異変に気づいたら噴火が起きる前に避難の用意をすることが大切だ。日頃から勤勉に働き、けん約、貯金をして、いつ災害がおきても困らないように覚悟(かくご)しておかなくてはいけない。ここに石碑(せきひ)を建てて記念する。大正十三年一月 東桜島村」
(原文)「本島ノ爆發ハ古來歴史ニ照シ後日 復亦免レサルハ必然ノコトナルヘシ住民ハ理論ニ信頼セス異變ヲ認知スル時ハ未前ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ平素勤倹産ヲ治メ何時變災ニ値モ路途ニ迷ハサル覺悟ナカルヘカラス茲ニ碑ヲ建テ以テ記念トス 大正十三年一月 東櫻島村」
この碑は「科学不信の碑(かがくふしんのひ)」として有名ですが、火山の専門家もおらず、観測体制も情報も不充分でありながら噴火なしと回答した測候所よりも、事前の異変を正しく受け止め、江戸時代の大噴火からの言い伝えに学んで、自らの判断で組織的に避難(ひなん)を行った住民の態度こそ科学的であったと言えるかもしれません。
参考:桜島大正噴火100周年記念誌(H26),自然災害科学・特集(2019),九州大学西部地区自然災害資料センターニュースNo.49(2013)