八幡山山系全景(東側)
北之庄城の別名である「岩崎山城」という名称について正しく理解するには、広義の八幡山に属する各山名を理解する必要があります。近年ネット上などに、城跡のあるピーク254mを岩崎山とする記事が散見されますが、これは誤解です。「北之庄城跡(岩崎山城跡)」という遺跡名からの類推と思われますが、254m峰の名前に由来して城跡を「岩崎山城跡」と呼ぶわけではありません。
長らく江戸時代の文献に記された「岩崎山の城」が北之庄城跡を指すとは考えられておらず、八幡山(鶴翼山)にあったと考える研究者もいました。現在、岩崎山と呼ばれている山域には、城跡はありません。平成になってようやく、廣田平治氏が最初に長年の調査に基づいて唱えた〔北之庄城=岩崎山城〕との考察が、広く認められるようになりました。城跡の正式な遺跡名は「北之庄城跡」です。
ここでは、八幡山(鶴翼山)を含む山塊を少々大げさながら「八幡山山系」と呼びます。国土地理院地形図では、八幡山山系の3つの主要なピーク付近に標高が記載(南から271.8、254、278)されています。そのうち3等三角点「八幡271.8」のそばのピークに「鶴翼山(八幡山)」の山名の記載があります。残りの2つのピーク、278と254には名称がありませんが、それぞれ、地元で古くから使われている通称、文献資料に見える名称が複数あります。
北から順に
また、各ピークの間の鞍部(峠)にも呼名があります。八幡山~北之庄山…「高取」、北之庄山~岩崎山…峠越えの道を「打越」と呼びます。かつて峠越えで八幡山の東西を行き来していた頃には、よく知られた名前でしたが、今では地元でも知る人が少なくなっています。その他、八幡山城北の丸から高取へ下る間のなだらかな尾根沿いの平坦部は「鐘撞場」、八幡山東尾根の2箇所の平坦部(曲輪)は上から「大平」「小平」と呼ばれます。
なお、現在国土地理院地形図には、鶴翼山(八幡山)の標高として八幡山城北の丸跡の三角点(271.8m)が記載されていますが、実際の最高地点は、村雲御所瑞龍寺本堂の建つ本丸跡にあります。等高線からは280m以上であることが読み取れます。瑞龍寺が京都から移築される以前の旧地形図では、本丸跡に三角点(285.7m)がありました。
最高点については、資料室>八幡山三角点の変遷もご覧ください。
登山道の整備とともに各所に展望台などが整備されています。登山道上には次々と新しい名称が付けられ登山者に親しまれています。一方、歴史と土地に根差した地名は大切な文化財です。「岩崎山城」の「岩崎山」ように歴史の正しい理解のためにも古くからの地名は重要です。登山者の便を図ることは大切ですが、元の地名を損なうことがないよう慎重さが必要です。古くから土地に伝えられる地名を大切にしていきたいと思います。
八幡山山系の各峰、峠など地元で使われる地名、歴史的な地名、文献に見える地名を集めて整理しました。
表中の〔 町名 〕は、近江八幡市内における各呼称の主な使用地域です。町内に各山域を含んでいます。北之庄町は、八幡山山系の3山域(八幡山、北之庄山、岩崎山)と2山頂部(北之庄山254、岩崎山278)を町域に含んでいます。
参考文献:「北之庄城(深谷岩崎山城)の考察」他(廣田平治氏)、「北之庄城詳細測量調査報告書」(近江八幡市教委)、近江蒲生郡志、梅原新田地所実況図面、五街道分間延絵図‐朝鮮人道見取絵図、1999年度日本都市計画学会学術論文集