江戸時代にはすでに城跡との認識が薄れていた北之庄城ですが、「七ツ池」は名所として知られていたようです。江戸時代の絵図「近江国大絵図」の八幡山の右側、「北之庄」「多賀」の左に描かれた峰の上に朱点が打たれ、小判型に囲まれて「七ツ池」の文字が見えます。
大正9年の地形図の北之庄山の部分に「井」の地図記号が記載されています。井桁の地図記号は、は明治以来、井戸を表していましたが、昭和40年(1965年)にそれまでの「油井、ガス井」の地図記号が廃止されると同時に「井戸」の地図記号が「油井、ガス井」を表すようになって、井戸の表示はなくなりました。